赤ちゃんの脳と言語:実行機能が言葉の発達をどう支えるか
はじめに
赤ちゃんが言葉を獲得するプロセスは、単に単語を覚えるだけではありません。聞いた言葉の意味を理解し、状況に応じて適切な言葉を選び、相手に伝わるように組み立てる、といった複雑な認知活動が伴います。これらの高度な認知活動を支える重要な脳機能の一つに、「実行機能」があります。
この記事では、赤ちゃんの脳の発達における実行機能が、言語の理解や習得にどのように深く関わっているのかを、科学的な視点から解説します。
実行機能とは:言語発達の土台となる脳の働き
実行機能とは、目標達成のために思考や行動を計画し、制御する一連の認知機能群を指します。これには主に以下の要素が含まれます。
- ワーキングメモリ(作業記憶): 短時間、情報を心の中に保持し、処理する能力です。例えば、人の話を聞きながら次の発言を考える際に必要になります。
- 注意の制御: 必要な情報に焦点を当て、不要な情報を無視する能力です。会話中に周囲の騒音に気を取られず、話し相手の声を聞き取るために重要です。
- 認知的柔軟性: 状況の変化に応じて考え方や行動を切り替える能力です。会話のトピックが変わった際に、それに合わせて自分の話の内容を調整するために必要になります。
- 抑制: 衝動的な行動や、目的から外れた思考を抑える能力です。会話中に、思いついたことを何でも口にするのではなく、適切なタイミングや内容を選ぶために役立ちます。
これらの実行機能は、主に脳の前頭前野という領域が中心となって担っており、赤ちゃん期から幼児期にかけて急速に発達していきます。
実行機能と言語理解のつながり
赤ちゃんが言葉を理解する際、実行機能は重要な役割を果たします。
- 長い文の理解: ワーキングメモリは、相手が話す長い文の冒頭部分を覚えておき、文末まで聞きながら全体の意味を構成するために不可欠です。ワーキングメモリの容量が発達するにつれて、より複雑な構文や長い指示も理解できるようになります。
- 文脈理解: 注意の制御や認知的柔軟性は、言葉が使われている状況や文脈を捉え、言葉の複数の意味の中から適切なものを判断するのに役立ちます。「いる」という言葉が「存在する」という意味か「必要とする」という意味かなどを、文脈から判断する際にこれらの機能が働いています。
- 指示に従う: 「〇〇を取ってきて、それから△△を片付けてね」のような複数ステップの指示を理解し、実行するためには、ワーキングメモリで指示内容を保持し、注意を指示の各ステップに順番に向ける能力が必要です。
実行機能と言語産出のつながり
赤ちゃんが言葉を発する際にも、実行機能は深く関わっています。
- 言葉の選択と組み立て: 頭の中で伝えたいことを考え、それに合う単語を選び、文法に沿って言葉を組み立てる過程には、ワーキングメモリで単語や文の構造を一時的に保持する能力が必要です。
- 会話の流れ: 相手の話を聞いて理解し、自分の考えを適切なタイミングで言葉にして返すという一連の会話の流れをスムーズに行うためには、注意の制御、認知的柔軟性、そしてワーキングメモリが連携して働いています。相手の発言に注意を向け続け、自分の話す内容を調整し、聞いた情報を覚えておくことが求められます。
- 不適切な発言の抑制: 抑制の機能は、言おうとした言葉が状況に不適切であると判断した場合に、その発言を思いとどまるために重要です。これは、社会的なコミュニケーションスキルが発達する上で基盤となります。
赤ちゃんの実行機能の発達と言語習得の同時性
実行機能は、生後数ヶ月頃からその基盤が形成され始め、幼児期、学童期、思春期にかけて徐々に洗練されていきます。言語能力の発達もまた、この時期に目覚ましい変化を遂げます。これらの発達が同時期に進むことは偶然ではなく、互いに影響を与え合っていると考えられています。
例えば、生後しばらくすると見られる「目標に向かって手を伸ばす」といった行動は、ワーキングメモリ(目標を心に留める)や抑制(他のものに気を取られない)といった初期の実行機能の発達を示唆します。このような基礎的な認知能力の発達が、その後のより複雑な言語課題への取り組みを可能にすると考えられます。
日々の関わりが育む実行機能と言語能力
実行機能の発達は、環境からの刺激、特に他者との相互作用によって強く影響を受けることが知られています。親子の日常的な関わりの中で、赤ちゃんの実行機能の発達を促すことは、結果として言語能力の発達にも良い影響を与える可能性があります。
例えば、以下のような関わりが挙げられます。
- 応答的な関わり: 赤ちゃんの出すサイン(表情、声、ジェスチャーなど)に敏感に気づき、適切に応答することで、赤ちゃんは自分の行動の結果を予測し、注意を向ける練習をします。
- 共同で注意を向ける活動: 同じ絵本を見たり、おもちゃに一緒に注目したりすることで、赤ちゃんは注意を共有し、重要な情報に焦点を当てることを学びます(これは指差しの項目とも関連します)。
- 簡単なルールのある遊び: 積み木を順番に積む、隠したおもちゃを見つけるといった簡単なルールのある遊びは、ワーキングメモリや抑制、計画性を育む機会となります。
これらの関わりは、単に言葉を教えるだけでなく、言葉を理解し、使いこなすための脳の基盤となる実行機能の発達を自然な形で支援することにつながります。
まとめ
赤ちゃんの言葉の獲得は、単語の暗記だけではなく、実行機能という高度な脳機能と深く結びついています。ワーキングメモリ、注意制御、抑制といった実行機能は、言葉を聞き取る、意味を理解する、適切な言葉を話すといった言語活動の土台となります。
実行機能は赤ちゃん期から発達し始め、親子の応答的な関わりや共同での活動などを通じて育まれます。日々の何気ない関わりが、赤ちゃんの脳の発達、特に実行機能と言語能力の両方に良い影響を与えている可能性を理解することで、より豊かなコミュニケーションを意識できるようになるでしょう。