赤ちゃんのデジタルメディア視聴と言語獲得の科学:脳への影響を読み解く
現代社会において、スマートフォンやタブレットといったデジタルメディアは非常に身近な存在となりました。親御さん自身が利用する機会も多いため、赤ちゃんがそれらに触れる機会も増えているかもしれません。このような状況の中で、「赤ちゃんのデジタルメディア視聴(いわゆるスクリーンタイム)は、脳や言葉の発達にどのような影響を与えるのだろうか?」という疑問をお持ちになるのは自然なことです。
この疑問に対し、科学的な視点から、赤ちゃんの脳と言語発達におけるデジタルメディアの影響とそのメカニズム、そして親ができることについて解説します。
赤ちゃんの脳と言語獲得:基本メカニズムの再確認
赤ちゃんが言葉を学ぶ能力は、驚くほど高いものです。これは、乳幼児期の脳が非常に柔軟で、環境からの刺激によって回路を形成しやすい「可塑性(かそせい)」が高い時期であるためです。言葉は単に音を聞くだけでなく、その音が指し示す対象や状況、話し手の意図などを理解し、さらに自分でも発するという複雑なプロセスを経て習得されます。
このプロセスにおいて、特に重要となるのが、親や周囲の人々との「相互作用(インタラクション)」です。赤ちゃんは、親の表情、声のトーン、ジェスチャー、そして言葉そのものといった多角的な情報を、対面でのやり取りの中で吸収します。親が赤ちゃんの発する声や動きに反応し、語りかけたり、ものを見せながら説明したりする経験の積み重ねが、脳内の言語に関連する領域(例えば、言葉を聞き取るウェルニッケ野や、言葉を発するブローカ野など)の神経ネットワークを強化していきます。この人間的な温かさを持つ相互作用こそが、言葉を意味のあるものとして理解し、使用するための基盤を築くのです。
デジタルメディア(スクリーンタイム)が脳と言語に与える影響の可能性
では、デジタルメディアの視聴は、このような赤ちゃんの脳と言語発達にどのように関わるのでしょうか。科学的な研究から、特に乳幼児期における過度なスクリーンタイムは、脳や言語の発達に好ましくない影響を与える可能性が示唆されています。
脳の発達への影響
- 過剰な刺激と受動性: デジタルメディアは、しばしば急速に変化する映像と音声で構成されています。これは、発達途上の赤ちゃんの脳にとって過剰な刺激となり得ます。また、視聴は基本的に受動的な行為であり、脳が能動的に情報を処理したり、応答したりする機会が減少します。これに対し、対面での相互作用では、赤ちゃんは相手の反応を見て自分の行動を調整するなど、より能動的に脳を使います。
- 注意機能への影響: 刺激が強いデジタルメディアに長時間触れることで、現実世界の、より穏やかで微妙な変化に対する注意力が育ちにくくなる可能性が指摘されています。
- 脳構造への影響(研究段階): 一部の研究では、乳幼児期の長時間のスクリーンタイムと、脳の白質(神経細胞を結ぶ線維の集まり)の発達との間に関連が見られるという報告もありますが、これはまだ研究途上の知見であり、さらなる検証が必要です。
言語獲得への影響
- 相互作用の代替にはならない: デジタルメディアからの音声や映像は一方的であり、赤ちゃんからの発信に対する応答がありません。前述したように、言語獲得には対面での応答的な相互作用が不可欠です。画面越しの情報は、脳が言葉を意味と結びつけたり、コミュニケーションの道具として使い方を学んだりする上で必要な「社会的コンテクスト(文脈)」や「非言語的な手がかり(表情やジェスチャー)」を十分に提供できません。
- 音声情報の処理: デジタルメディアから流れる音声は、現実の会話とは異なり、環境音と分離されて明確に聞こえる場合があります。しかし、赤ちゃんは日常生活の中で様々な音の中から人の声を聞き分け、その声が持つ感情や意図を読み取る能力を育んでいます。デジタルメディアの音声だけでは、この重要な聴覚認知と言語理解の発達が十分に促されない可能性があります。
- 語彙習得の質: 研究によると、デジタルメディアから新しい単語を聞くよりも、対面で人から聞く方が、赤ちゃんはその単語をより効率的に覚え、使いこなせるようになることが分かっています。これは、対面コミュニケーションには言葉だけでなく、指差しや視線、表情といった多角的な情報が含まれており、赤ちゃんが単語とその意味を結びつけやすいためです。
これらの科学的知見から、多くの専門機関(例えば、米国小児科学会や日本の厚生労働省など)は、1歳半までの乳幼児には原則としてデジタルメディアの視聴を推奨しておらず、見る場合でも非常に限定的にすることを推奨しています。
親ができること:脳と言語発達を促すために
科学的知見は、赤ちゃんにとって何が最も大切かを示しています。デジタルメディアとの適切な付き合い方を考える上で、以下の点を意識することが重要です。
- スクリーンタイムの制限: 可能であれば、1歳半頃まではデジタルメディアの受動的な視聴を避け、それ以降も短時間にとどめることが推奨されます。使用する際は、どのようなコンテンツを、どのような目的で、どのくらいの時間見せるのかを考慮しましょう。
- 対面での豊かな相互作用を優先する: これこそが、赤ちゃんの脳と言語発達にとって最も強力な促進剤です。
- 語りかけ: 目を見て、ゆっくりと、豊かな表情や声のトーンで話しかけましょう。赤ちゃんの声や動きに丁寧に反応し、会話のキャッチボールを楽しみます。
- 読み聞かせ: 絵本を一緒に見ながら、登場人物になりきったり、絵について話したりすることで、語彙力や想像力、そして読解の基礎を育みます。
- 一緒に遊ぶ: 積み木を積んだり、ボールを追いかけたり、歌を歌ったり。遊びを通して、五感を使い、体を動かし、親とのコミュニケーションを楽しむことが脳全体の発達を促します。
- 共感的な応答: 赤ちゃんの感情や要求に気づき、言葉や態度で応えることで、安心感と信頼関係を築き、コミュニケーションの楽しさを伝えます。
- 親自身がメディアとの付き合い方を見直す: 親がスマートフォンなどに没頭していると、赤ちゃんとの相互作用の機会が自然と減少します。赤ちゃんとの時間を大切にし、デジタルデトックスの時間を意識的に設けることも有効です。
- デジタルメディアを「ツール」として活用する場合: 教育的なコンテンツや、遠隔地の家族とのコミュニケーションツールとして使用する際は、必ず親がそばにつき、一緒に見たり、内容について話したりするなど、インタラクティブな要素を取り入れることが重要です。ただし、これも対面での相互作用の代替ではなく、あくまで補助的なツールとして考えましょう。
まとめ
赤ちゃんの脳と言語は、周囲の人々との温かい相互作用の中で豊かに育まれます。デジタルメディアは多くの情報を提供できますが、人間的な触れ合いから生まれる複雑で多層的なコミュニケーションの質には及びません。科学的知見は、乳幼児期においては、デジタルメディアの受動的な視聴よりも、親子の豊かな対面コミュニケーションや多様な実体験こそが、脳と言語の健やかな発達に不可欠であることを示しています。
デジタルメディアが身近になった現代だからこそ、意図的にスクリーンタイムを制限し、赤ちゃんとの関わりの時間を大切にすることが、未来のコミュニケーション能力の土台を築く上で非常に重要であると言えるでしょう。